教科書的な意味での「きれいな」字を書く人を否定するつもりはないし,それはそれでいい。しかし何でかな,美文字先生()からまったく知性を感じないのはなんだろうね。結局,美文字とかいうあやしい考え方の根底にあるのは書き順(筆順)なんだよね。
もうね,書き順厨がキモすぎて吐き気がする。は
書き順って,国の都合でしょっちゅう変更されてんじゃん(#^^#)
その時点でなんの説得力も合理性もないし,筆順まで強制しようとする義務教育の言論統制はまじやばいから信用しないほうがいいよ 。
はっきり言って書き順は書きやすい順でいい。書き順なんていうものはナンセンス。字は個性があっていいし問題なく読めればいい。行書だろうが楷書だろうがどうでもいいけど連中が言う「美しい文字」とやらを書くには正しい書き順で書く必要があるっていうのはトートロジーとまでは言わないけどほとんど説明力をもたないね。
正しいとされる筆順に従って書いた文字が美しいと感じるのは,あまた存在する美しい文字基準の一つに注目したに過ぎないね。文字って個性と知性があらわれる大事なもので個人差はあっていいし個人差こそが魅力だよ。汚 くたって,読みづらくたって,にじみ出る知性みたいなものは隠しきれないよ。
じぶんが小学校の教員やるとしたら書き順なんて教えたくない。モンスター親から抗議されようが知ったこっちゃないし職を賭して持論を展開するよ。だいたい親が書いた名札かなんかの字が汚いのが恥ずかしくて登校拒否になった知り合いがいたけどこんなの他国に例を見ない異常事態でしょ。テストで筆順を問うって聞いただけで蕁麻疹が出る。書き順厨も美文字厨もマジできもい。
個人的には,(あくまで教科書的なきれいさを基準にすれば)汚くて難読な字も個性があって好きだ。
左は,外国に行ったときに入手したレシートでガチの外国人が書いたもの(いい具合に日本人からすれば乱筆で,とくに数字が何を書いてあるのか分かりにくい けれど向こうの人が読めば簡単に解読できるのだろう)。右は日本のイタリアンレストランのもの(イタリアでの修行経験があるらしく,こちらも個性があ る)。
そもそも,字がきれいなことと頭のよさって関係があるのか。知る限りほとんど関係がない気がするし,少なくとも直接の関係にはないと思う(推測だけれ ど教育熱心な家庭は子供に勉強させて,さらに,きれいな字を書くように教育する傾向があるだけで,勉強が出来ることと字のきれいさには直接の関係はないと 思う。ある意味,擬似相関のようなものだ)。
ぼくは,(知性がにじみ出てくれれば嬉しいけれど無いものは仕方がないのでそれは諦めるとして)将来の米国移住に備えて,日本人からしたら難読な字体をマスターするために日々努力している。